ケンワ誕生秘話
書籍
『両手があったら一本は他人のために』〜整体の先生と呼ばれるようになって〜
では、語りきれなかったエピソードと後日談。
整体師ケンワ誕生から、燕健友館 健和堂に至るまでの経緯を書き綴りました。
(拙い文章をご容赦願います)
小学生の頃、私は足が内股に曲がっていました。
それが原因で、走るのが遅く、転びやすく、クラスメートにはいつもバカにされ、
いつしか、外で遊ばず家に引きこもってテレビゲームばかりしている、
スポーツ嫌いで内向的な少年になっていました。
そんな少年時代のある日、私を見かねた父は“整体院”なる所へと、半ば強制的に私を連れて行ったのです。
私の足を治すためでした。
父自身、大工という重労働の職業柄、慢性的な腰痛を患い整体院通いをしており、
私の足にも効果があるのでは?と考えたようです。
今にして思えば、これが私と整体術との初めての出会いでした。
小学生の私にとって、足を矯正する整体術は苦痛を伴ないましたが、
父と整体師の先生に励まされ、頑張って通院を続けました。
どの位通った時のことでしょうか。私の内股だった足はすっかり良くなっていました。
それからというもの、
リレーの選手に選ばれるほどに走るのが速くなったり、友達と外で遊ぶことも多くなったりと、
心も体も軽くなり、私の人生は一変したのでした。
足が良くなることによって、一転してスポーツ好きになった私は、
以前から興味を持っていた「空手」を習い始めました。
摩文仁 賢和(まぶにけんわ)を開祖とする沖縄伝統空手の一つ、糸東流空手です。
以来武道に目覚めた私は、柔道・キックボクシング・実戦空手(大道塾空手)を学んで回り、
格闘技三昧の少年時代を過ごすこととなりました。
それ故、怪我をすることも日常茶飯事で、ある日とうとう腰痛から足のしびれ、いわゆる坐骨神経痛を患う始末。
整形外科、接骨院などを渡り歩きましたが、どこも良い治療結果は得られませんでした。
その時、既に高校を卒業して就職していた私は、日常生活に支障をきたす程ではなかたものの、
無理は出来ず、職場にも迷惑をかけてしまい、また格闘技からも遠ざかる他ありませんでした。
せめて自分で治せる方法を学べないものかと、柔道整復師や鍼灸師の学校から整体、
カイロプラクティックの専門学校の入校案内を取り寄せたり、学校説明会を聞きに行くこともしばしば。
しかし、どの学校も学費が高く、仕事を続けながら通えるような所などありませんでした。
時は1997年、長野オリンピックの開催が目前に迫っていました。
当時は長野で大きな仕事があり、新潟と長野の間を行ったり来たり、
あるいは何日も長野に泊り込んで仕事をするという多忙な生活を送っていたため、
整体を習いたいという気持ちはひとまず忘れていました。
年が明け、オリンピックも終わり、久々に新潟の実家でのんびりしていると、父が一冊の本を持っていることに気が付きました。
健友館館長・越田昭著書「グッバイ坐骨神経痛」。
父は、長年の重労働がたたり、整体院通いも空しく、私と同じく足に感覚異常を起こし、
病院に入院するほどに腰痛が悪化していたのです。
病院の医師や治療家を信用せず、“自分で治す方法を”という発想は親子共通のものであるらしい。
私は父から「グッバイ坐骨神経痛」を借りて読みふけり、そして本に書かれていた整体術を父に施しました。
するとどうでしょうか、今までどこに行っても治らなかった父の足のしびれがウソのように消えたではありませんか。
私はこの瞬間、「グッバイ坐骨神経痛」の著者・越田先生の「健友館整体師養成所」への入門を決意しました。
世の中は不景気の真っ只中、私は職場で、腰痛も手伝ってか“役立たず”な扱いを受けていました。
痛む腰を心無い上司に叩かれたこともあります。
また、過酷な労働に体を壊す者も後を絶たず、自ら命を絶つ者さえいました。
このような社会状況の中、父を始めとして、誰かに整体術を施すことがとても価値のあることに思えたのです。
長野で稼いだお金を学費に当て、「健友館整体術」を学び始めました。
仕事を続けながらでしたので、会社の人間はもとより友人たちには
「変わった趣味だね。」
「なんで“そんなの”習ってるの?」
「若いのに珍しいね。」
など、理解してくれる人はいませんでした。
しかし、容赦のない残業の言い付けにも耐え、仕事が早く終わった時の付き合いも避け、
“役立たず”に加え“変わり者”
のレッテルを貼られながらも、整体術を修得し、養成所を卒業しました。
そして、整体術を応用して、自身の腰痛も克服したのです。
養成所卒業後は、夜間・休日を利用し副業として出張整体を行いました。
さらにスキルを高めるべく、リフレクソロジーの「マキフジタスクール」をも卒業し、
実家の一部を改築しての開業となりました。
整体院の名称は、「摩文仁 賢和」にちなんで「ケンワ療術院」。
通称“ケンワさん”の誕生です!
人生とは不思議なもので、正式に開業ということになると、今までの“変わり者”から一転して“先生”と呼ばれるようになったのです。
それは、かつて小学生の頃に感謝の念を抱いた、整体の先生と同じ立場に立たされていることに気付かされる呼び名でした。
開業と同時に、多くの患者さんがワラにもすがる想いでやってきます。
私は、世の中には私や父以上に、痛みに苦しんでいる方々が大勢いることを痛感すると共に“先生”と呼ばれて恥ずかしくない仕事をしようと、改めて決意を固めました。
しかし、開業後も世の中の不景気はまだまだ治まらず、
経営はけして順調と呼べるものではありません…。
そこで、かつて新聞配達をしながら経営を支えたという越田先生に習い、
昼は整体、夜中はコンビニでバイトをすることにし、コンビニで接客経験を積み、
バイト代は全て広告費に当てました。
しかし、その経営スタイルを理解してくれる人は少なく、大抵の方は、
「そうまでしないと患者さんが来ないのか?」
「整体辞めて、コンビニだけにすれば。」
と、心無い言葉を何回投げかけられたことか…。
現在ではコンビニでのバイトはしておりませんが、コンビニで培った接客や、その他様々な経験…
それらは、確実に自分にとってプラスになったと確信しております。
また、今現在では
「治らなかったら訴えるぞ!」
という脅迫じみたことを言う者から、
「“あんた”って〇〇高校卒なんだってね?」
と、およそ整体の技量とは関係のない出身校を中傷してくる見当違いの輩など、何かと苦難は絶えません…。
しかし、これからもどんな逆境や罵声にも屈することなく、本当に私の整体術を必要として下さる皆様のために、技術を磨いて行きたいと思います!
独立開業はスタート地点でした。
修行に終わりなどありません!
私のエピソードはこれにて終わりますが、「健和堂」はこれからも続きます。
(その後、父は、腰痛が悪化することなく、現役の大工を続けています)
著:「整体師ケンワ」こと小杉和渡
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